水害の記録~倉敷市真備町の西日本豪雨災害~

平成30年7月豪雨(通称西日本豪雨)で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町の住人による災害備忘録

こういう状況

警察は2時間後くらいに2人で来た。
この状況だから理解できなくはないが、最初から事件にするつもりがないのがものすごく伝わってくる。


要約すると
「何が盗られたかわからないでしょ?明細出せる?盗られたのか流れたのか判断できる?できないよね?」
てことだった。

 

「まあ一応こんな事があったよーっていうことで記録には残しておくんで。
警察も今こういう状況だから忙しくて手が回らない。一軒一軒対応してられないので理解してほしい」
ということだった。

「こういう状況」じゃなかったら「ふざけるな!」なのだが、本当に「こういう状況」なので何とも言えない。

「亡くなった方がたくさんいてその捜索に手一杯」
と言われたら、もう返す言葉がない。

足跡や盗難場所の写真だけ撮って警察は引き上げた。
警察を恨む事はできない。
その分、泥棒と災害を憎むしかなかった。

通報

前日からメールやLINEで「窃盗団が真備に入って来ている」という情報が流れていた。
「外国人のグループ」「関西ナンバーの車両」など具体的な内容だった。

 

しかしまさか自分の家に入っているとは・・・。
しかもこの家は水が引くまでは東西南、全部が浸水状態で、通ることもできなかったし、この日も周りの家はまだ水が引いておらず浸かった状態であったのに一体どこから来たのだろう・・・。

北側は確かに通れる状態ではあったけど、地元の人しか知らないような細くて通りにくい道。
カーナビとかあるからそんなの関係ないのかな。

 

とりあえず、警察に電話するのだけど、携帯がつながらない。
電波がものすごく不安定。
よくテレビなどで見聞きするがその通り、災害時は電話が使い物にならない。
docomoの回線だとダメだったが、SoftBankは何とかつながったので警察を呼んだ。

「この状況なので警察も手一杯でいつ行けるかもわからない」とのこと。
それは仕方ない。
たしかにこの状況だから・・・。

しかし、警察が来るまでは片付けも何もできない。
一応現場を現状維持しておかなくてはならない。

この状況では何が盗まれたのかも全然わからない。
ただ、離れの戸棚に入っていた父の遺品が盗まれた。
しかし、細かい明細まではわからない。

二次災害?

翌日(7月9日)、母を連れて午前中に家に帰った。
どこからどう手を付けていいかわからないが、少しずつ片付けを始めなければならない。

とりあえず片付ける前に全て写真に撮れということだったので、そこら中写真を撮って回った。
罹災証明を取得するために必要なのだそうだ。
ルールはルールだから仕方ないのだけど、こんな状況の時に写真なんか撮る気にならない。
しかし撮らないわけにもいかない・・・。

写真を撮っているとなんだか違和感・・・。
おかしい・・・昨日と何か違う。
窓が少し開いている。
閉め忘れたかな?そもそも開けたっけ?
よく見ると昨日は綺麗でこのまま使えるんじゃないかと思えた畳に無数の足跡が付いている。

足跡はそこら中に付いていた。
階段にも・・・。
そして2階に上がっていてタンスの引き出しが全部開けられていた。

離れの戸も開け放されていて、土足の足跡が畳についており、
棚が開けられて中のものが散乱していた。

 

泥棒だ!
泥棒が入ってる!

火事寸前

とりあえず何をどうして良いのかわからない。
片付けるにしてもどこからどう手を付けて良いのやら・・・。
いや、これを片付けるのか・・・??
片付けられるのか??これが・・・。

それほど途方に暮れる破壊っぷりだった。


弟も一緒に来たのだけど、家に入ると当然同じような状況。
しかし、煙が出ていて焦げ臭かったとのこと。
まさに火事の一歩手前。
危なかった。あと少し帰るのが遅れていたら・・・。

 

弟の家は太陽光発電
屋根にパネルを取り付けるアレだ。
詳しくはわからないが、これが原因で火事が起こりかけたという。
機器が水に濡れたまま太陽光による発電が始まったからだということ。

 

家のブレーカーは切れているのだけど
念のためにコンセント類を全部抜いてその日は帰った。

姉の家に戻って、母親に家が惨憺たる状況であることを伝えると
なんとも不安そうな、そして悲しそうな顔をしていた。
辛かった。

しかしこれで水は引いていくだけだろうから
明日から家に通って片付けをすることにした。
なんにもメドは立たないまま。

 

後から聞いたが被災した知り合いの家は、2階が家事になった。
電気がショートして火災が起きたらしい。

1階が浸水して荷物を全部2階へ上げていたら、その2階は火事になって殆どの物を失ったそうだ。

水害は恐ろしい。

元の状態のまま

驚きでもない、悲しみでもない、
あの時のあの感情は今でも説明ができない。
淡々と事実を受け止めていたのだけど、事実だと認識できてなかったような気がする。

しかし、畳は綺麗だ。
このまま使えるんじゃないかというくらい。
僕があの日寝るはずだった布団もそのまんま。
ほとんど濡れてもおらず、形も崩れていなくて、あの時敷いた状態のままでそこにあった。

つまり、畳は水に浮くので、布団を乗せたまま水位に伴って上昇し、水が引いたときにそのまま床に降りた、ということみたいだった。


これはキッチンのダイニングテーブルもそうで、他のものはほとんど倒れているのに
テーブルは水に浮いていたらしく、テーブルの上においていたものは濡れてもおらず
元の状態のままでそこにあった。

あの日、「もう大丈夫」と安心してカップ麺を食べたあとに、お茶を飲んでそのまま置いたコップも中は空のまま倒れてすらない。

 

なのにキッチンのガラスは割れていてガラスが散乱している。
おそらく中の家具などが水に浮いてガラスに衝突→破損、だと思う。

どういう状況だったんだろう・・・。

静か、呆然

しかし、静かだ。
恐ろしく静か。


上空ではヘリが何台も飛び交っていてバタバタいってるのだが、ヘリが遠ざかるとあたりは物音一つしない。


「シーーーーーン・・・」という感じ。


人間が1人もおらず、車も1台も走っていないとこんなにも静かなのだということに驚いた。

うちは古い旧農家で壁は土壁がほとんど。
そして昔の造りに多い、裏口にトイレや洗濯場がある。

裏口に回ると、壁は落ち、土壁の泥が山積み。
洪水の泥と土壁の泥で泥だらけ。
モノが散乱し、その一番奥には泥をかぶった洗濯機が倒れかけていた。

表に回り、ボロボロになった納屋の前を通って勝手口から家の中に入った。

ドアを開けると部屋も廊下も、家中全てが足の踏み場がない状態。
家具、電化製品、すべての物が倒れて散乱しており、床は泥でぬかるんでいる。
障子もふすまも破れたり敷居から外れてたりしていて畳も浮き上がったり斜めに立てっていたり・・・。

初めて見る光景に言葉が出ない。
呆然とする。

家の外の様子

車庫の屋根に信じられないような大木が乗っている。
直径6~70cmだろうか・・・。
家の前の道路にはキャンピングカーのコンテナが隣家の敷地のアルミフェンスを破壊した状態でぶら下がっている。

そこら中の屋根という屋根に、色んなゴミや物体が乗っかっていて全てのモノが泥をかぶり、泥水もあってあたりは茶色。

家の周りの歩けるところ一通り歩いた後、門から庭に入った。

門や壁には泥の跡が線となって付いていてその高さは2m以上。
庭に入るとあたりは泥で茶色がかっていて、そこら中に物が散乱。
たくさんの物が倒れており、壁は崩れており、戸は外れており、ガラスは割れており・・・。

家の中に入る気になれず、まずは裏口にまわってみた。
大雨で溢れていた庭池は何故か水が半分くらいしかなかった。
そしてその水は泥水で茶色。

祖父の代から飼っていた鯉ももういないだろう。
池のそばにはあの日活躍した排水ポンプが虚しく転がっていた。
もしものために電源を抜いておいてよかった。