初めて家に帰ってみた
8日も朝からずっとテレビで被害が報道されていた。
大体みんなでテレビを見るか、電話やスマホで情報収集するかどっちかだった。
そんな時、母にご近所さんから電話がかかってきた。
この人は、かなり高い場所に家があるので被災せずに済んだ人。
僕の同級生の母親だ。
「水が少し引いたから多分徒歩なら家に戻れる」という。
じゃあ行ってみよう、ということで弟と自宅に戻ってみることにした。
車をかなり手前の山の中に停めて、そこから徒歩で裏道を通り、家に向かったが、付近はまだ水没していて、うちの倉庫がまだ水の中なのがはっきりと確認できた。
家は少し高いところにあるので、うちだけ何とか水から出ている感じだった。
家の裏口から入ろうとしたのだけど裏口は全く開かない。
何がどうなってるのかわからないけど、とにかくドアが全く開かない。
仕方なく正面に回り込んだが、もう地獄絵図だった。
うちのすぐ前までは海。
裏手、つまり北側から来る以外の道は東西南ともまだ全部水に浸かっていて、隣の家にも行けない状態。
孤立状態だった。
現実を受け止められない母
姉の家に戻って母親に状況を伝えたが、全く理解できないようだった。
あのときの精神状態は本当に異様だった。
「家はダメだった。水没した。ご近所も全部浸かってた」
「はぁ??そんなわけないよ」
写真を見せた。
「・・・・・わからないけどそんなわけない。私は明日にでも家に帰れると思ってる」
概ねこんな感じ。
母のこの状態は被災後しばらく続くことになる。
実際、被災後の家に帰った時でも、
「この部屋だけは浸かってないんじゃないん?」
と言ってはこっちを見、
「トイレだけは水が入ってないんじゃないん?」
と言ってはこっちを見・・・。
1階の特定の部屋だけ水が入らないなんてことはない。
気の毒で仕方なかった。
相当ショックだったのだ。
年寄りが自分の家が無くなったことをあっさり納得するわけもない。
認めたくないのはよく分かる。
しかし現実は残酷だった。
自分の家を見に行く
午後になって雨が小降りになった。
自分の家はどうなったのだろう・・・。
テレビでは真備町の中心的市街地を中心に報道されていたが、自宅のあたりの状況はまだわからない。
どこか高台からでも自分の家が見える場所まで車で行ってみることにした。
姉の家から12~3km、時間にして20分ほどだ。
メインの道路を通ると小田川沿いをずっと走ることになるのでおそらく無理だろうから、山道を抜けて行ってみた。
土砂崩れはそこら中で起こっていて、道路の片側が潰れたりしていたけど、何とか自宅が見えそうな高台にたどり着いた。
道路脇には車がたくさん停められていて人がいっぱいだった。
うちは一体どうなってるんだろうか・・・。
多少高い位置にあるので、案外大丈夫だったりしないだろうか・・・。
という期待は打ち砕かれ、高台から見えたのは、平屋の車庫の屋根だけが水面から出た状態の自宅近辺だった。
近所の家があるので、自宅はそこからは見えなかったが車庫の屋根だけがかろうじて見えた。
あの高さ・・・・ダメだ・・・終わった・・・。
地面から3mくらいだろうか・・・。
完全に1階は水の中だということを確信した。
近所の人が2階のベランダにいるのが見える。
水はそのベランダのすぐ下あたりまで来ていてたが、2階は無事なのかどうかわからない。
2階も浸水しているのだろうか・・・。
遠いので声もかけられない。
何もできない。
とにかくわずかな希望は消えた。
家は水没した。
ショッキングで悲しい映像
7月7日の朝7時半頃に会社にメールを入れている記録が残っている。
お疲れ様です。みな同じかもしれませんがしばらく会社には行けそうにありません。
大災害です。参りました。
とりあえず月曜は休むと思います。
先のことがわからないので「月曜は休むと思う」くらいしか言えてない。
実際には、会社に復帰するまで3ヶ月かかったわけだが・・・。
7日のことは正直あまり覚えていないのだけど、とりあえずその日はテレビばかり見ていた。
情報収集の方法がテレビしかない。
もうスマホに緊急メールも入ってこないし、友達とはちょっとやり取りしたが、どちらも被災しているのでなにも情報を持っていない。
テレビではヘリが飛び交い、自衛隊がボートで救助に。
まだまだ取り残された人達が沢山いるということが実況されていた。
まび記念病院が何度も映され、その近所の水没した光景も何度も映される。
ホームセンターのコメリやディスカウントショップのディオなど、大きい建物の屋根しか出ていないような映像は何度も見た。
壊滅した見慣れた町並み。
ヘリに吊られて救助される人。
ボートで救助される人。
家族を失って泣き崩れる人・・・。
ショッキングで悲しい映像ばかり大量に流れていた。
被災者
家に着いてからはずっとテレビを見ていた。
情報はとりあえずそれしかないからだが、真備町の水害は全国ネットで大々的に報道されていた。
ヘリからの空撮でテレビ画面に映されていたのは、茶色い水で覆われた真備の町・・・。
「大変なことになるかもしれない」と昨夜から何度も頭をよぎったが、それが現実となってしまった。
テレビからも「被災」「被災」という言葉が繰り返される。
被災者だ。
被災者になってしまった。
阪神淡路、東北、熊本、北海道・・・。
今まで、たくさんの被災者の方をテレビで見てきた。
その度に自分に起こったらどうなるのだろうという思いが頭をよぎっていた。
その被災者に本当に自分がなった。
信じられない、現実が受け止められない、
不思議な気持ちだった。
テレビに映っているのは自分の町なのに、映画か何かを見ているような、他人事のようにしか捉えられない感じだった。
これから先のことが想像できない。
何がどうなっていくのかもさっぱりわからない。
自分が不安なのかどうかも正直よく分かっていなかった。
姉の家に避難
大雨は全然止む気配がない。
こんな状態になってしまっているのに、これ以上降り続いたらどうなってしまうのだろう・・・。
不安で全然落ち着かず、車から出て周辺を見に行ったり、車に戻ったりを繰り返していた。
6時ごろ母が姉に電話をかけた。
車を出ていたので直接聞いてはないが、
「家の方まで水が来てなあ、今山に逃げとんよ」
とか言ったらしい。
母はその時ですら自宅に水が来ていると思っておらず、
「念のために逃げてるだけだから昼には家に戻れると思うわ」
とか言ったらしい。
姉は真備町がこういう事になっているのを知らずに寝ており、母からの電話で飛び起きたそうだ。
近年にないくらい驚いたと言っていた。
真備から矢掛までの道が土砂崩れで通れないという情報があるので、姉の旦那さんと息子が車で道路を確認してくれた。
土砂崩れはそこかしこで起きていて、片側しか通れなくなっている場所もあるが
何とか通行できるとのこと。
全面通れなくなっていたのは別のルートだった。
すぐ矢掛に来いと言ってくれたので、朝4時過ぎから7時ごろまで留まっていた場所から移動したが、聞いていたとおり、そこら中で土砂崩れが起きており、道路が半分埋まっている場所も何か所かあった。
また小さな農業用水が氾濫して土手が崩れていたりもしたが、なんとか姉の家にたどり着いた。
弟家族はすでに来ていて、家の中は大人数でごった返していた。
大人7人、子供3人、犬4匹。
難民キャンプと化した姉の家での共同生活が始まることとなった。
水上バイク
水は相当な高さまで来ていた。
2階の屋根だけ出ているということは4mくらいだろうか。
「母親の車をおいた場所も危ないかもしれない」
まず大丈夫であろう場所に置いておいたが、心配になって車の所まで行き、今いる場所まで移動させた。
走って車を取りに行く途中、町を覆った茶色い水の上を、水上バイクで走り回っている人がいた。
「こんな時に何やってんだ。ふざけた奴がいるもんだ」
と思った。
テンションが上ってふざけていると思ったのだった。
ところが実際はふざけていたのは自分の方で、この人は水上バイクで被災者を助けて回っていたのだった。
自分はこの時、まだ状況が理解できていなかったのだ。
まさか個人が水上バイクやボートで人を助けて回っているとは・・・。
このことは後からいろんなメディアでとり上げられて
「そうだったのか・・・」
とショックを受けた。
遊んでると思ってしまって申し訳ない。
母の車を移動させた後、雨はどんどん激しさを増していて、次にまた更に災害が起きるのではないかと不安が募った。
「山の中腹」的な場所に車を停めていたので、ここまで水が来るとは思わないが、その山が大雨で崩れるのではないか・・・という不安があった。
後ろの山がもし崩れたらこの位置だと間違いなく生き埋めになる。
移動するか・・・??
しかし下手に動くのもどうなのか・・・。
どこに行けばいいのか?
どこなら安全なのか?
結局動けないまま、その場所に留まっていた。